Global Eco-Science School 世界につながる 科学する心、表現する力

Otsuma Ranzan Junior and Senior High School

3学期始業式:進路指導主任の話「学ぶことにより、自分の可能性を発見して自分の道を見いだして」

2020.01.09

校長室から

3学期始業式、進路指導主任の話

いつも素晴らしい

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日は「自分の道を見出す」ということについてお話します。

「私はこれだ」という自分の道を持つことは、生きることに意味を与え、人生を充実させます。

才能に溢れる芸術家のように、早くから自分の道を見いだす人もいますが、もっと遅く、ある時思わぬきっかけで見出す人も多いと思います。それが何時かは人それぞれで、大学生活で、職場で、あるいは晩年に見出す人もいます。

江戸時代後半、日本で初めて実測によって日本地図を作った伊能忠敬は晩年に生き方を大きく変えた人です。忠敬は晩年までは千葉県佐原の商人で、優れたリーダーシップと事業の才能により村の自治を纏め、商売でも成功しました。1785年の天明の大飢饉では私財を投げ打って佐原の民を救い、佐原からは一名の餓死者も出しませんでした。

事業家として成功を納めていましたが、その傍ら天文学に関心を持つようになり、いつかはそれに専念したいという夢を持っていました。49歳のとき、残りの人生を天文学と暦の研究に捧げようと決心し、商売を長男に譲り、江戸に出て高橋至時という31歳の天文学者・暦学者の弟子となりました。

暦の研究に没頭し、正確な暦を作るために、地球の大きさと日本各地の経度・緯度を知る必要に迫られ、江戸から北海道(蝦夷地)までの測量を計画しました。

地球の大きさを測るための測量でしたが、それでは幕府の許可が下りないので、地図を作るための測量ということで許可を得ました。1800年、忠敬55歳の時の蝦夷地への測量では、根室まで往復3200キロを180日かけ、歩いて距離と方位を測り、途中81ヶ所で天体観測をおこないました。近代的は測量の器具はなく、歩いた歩数による距離と簡単な方位計だけによる測量をしながら、毎日40km歩く命がけの旅でした。江戸に戻って「蝦夷地測量図」を幕府に提出すると、出来栄えが良かったため、東日本の地図作成の命令が下ります。それを4年かけて完成させると、今度は日本全図を作成せよとの命令が幕府から下ります。忠敬はそれを天命と受け止め残りの人生を日本地図作りに捧げました。

72歳までの18年間に日本全国に10回の測量旅行を行い、歩いた距離は4万kmを越え、地球一周分に相当しました。測量は苦難の連続でしたし、その間に自分より若く信頼していた周りの人の死、測量隊の副隊長、先生の高橋至時、商売を任せていた長男の死に直面していますが、忠敬は測量を続けました。

1818年、伊能忠敬は測量結果を基に日本地図を作製中、74歳で亡くなりました。地図作成は弟子たちが引き継ぎ3年後に、「大日本沿海輿地全図」が完成し、忠敬の偉業として江戸城で披露されました。

日本で初めて実測によって作られた日本地図は現代の地図と重ね合わせてもズレは少なく。それを見た欧米諸国は日本の文化的実力を高く評価しました。

伊能忠敬は、50歳になってから自分の道を進み始めても遅くはないということを後世に示し、今でも私たちを勇気づけてくれます。

自分の道を大学時代に見出す人もいます。

14年前のお正月に、当時勤めていた高校で、大学4年生になっていた卒業生のKさんが学校に訪ねて来ました。Kさんは穏やかで優しい人柄で話しているとほっとする人でした。

Kさんは大学の文学部ドイツ語学科に進学しましたが、大学生生活の中で、偶然に、リハビリーションで苦労している人たちの姿に出会い、「私はこれだ」と思ったそうです。人々のリハビリテーションを支援したいという新たな夢を持ち、大学卒業後は専門学校に通い理学療法士になりました。Kさんは身体の障害に苦しんでいる人を助けたいと真剣に思っています。優しく穏やかで思いやり溢れるKさんはリハビリテーションの指導にとても向いていて、今は現場で活躍されています。

就職して働いている時に、自分の道を確信する人もいます。

同じ高校の卒業生で、看護師になったSさんはある出来事がきっかけになりました。

看護師なりたてのある日、お年寄りの患者さんの採血の時、血管が硬くて針が入りませんでした。何度もやり直しますがダメで、半分泣きながら「別の看護師さんを呼んできます。」と言って離れようとした時、そのお年寄りに手を捕まれて止められ、「私の事は良いから最後までやって下さい」と言われました。今度は目から涙が噴き出し、霞む目で何とか針を血管に刺すことができたそうです。

お年寄りは、自分の痛みではなく、若い看護師のことを心配していました。お年寄りのとっさの行動と言葉がSさんを窮地から救いました。

Sさんにとっては忘れられない体験でした。Sさんはそれまでも一生懸命看護を学んでいましたが、新米なので受け身な姿勢もあったそうですが、その事件以来「看護が自分の道だ」と確信して積極的に進み始めました。それは初対面のお年寄りとの間に生まれた人間の絆、そういった患者さんとの人間の絆が看護のやり甲斐だし、自分を支えてくれると感じたのだと思います。

自分にぴったり合った進路を見いだすことはそう簡単ではありません。勉強を続ける中で視野が広がり考え方が深まることによって、自分がやるべきことが見えて来ます。理学療法士になったKさんが、もし、なんとなく大学生活を送っていたら現在の進路は見つからなかったでしょう。真剣に勉強し、真剣に考えたからこそ、自分の進路を見いだしたのです。看護師のSさんがお年寄りに巡り合ったのは幸運だったと思います。しかし、その幸運を掴んだのはSさんです。真剣に学んでいたからこそ、幸運を掴めたのだと思います。

人はその時最善だと思うことを懸命にやるしかありません。途中で進路目標が変わってもそれまでの努力は必ず役に立ちます。伊能忠敬の晩年の偉業は前半生の活躍の上に成り立っています。

今、3年生は受験勉強の真最中です。勉強をするということは目前の合格のためだけではありません。受験というチャンスを通じて自分を成長させています。勉強は自分の可能性を追求するために行うものです。だれもが自分の可能性を良く知りません。可能性が低いかもしれないことを恐れて躊躇することは愚かなことです。自分の可能性を最大限発揮させようとすることに価値があるのです。

学ぶことにより、自分の可能性を発見して自分の道を見いだして行って下さい。人は、目指すものを持っていれば輝くことが出来ます。