Otsuma Ranzan Junior and Senior High School

らしくあれ

大妻嵐山中学校・高等学校は、学祖・大妻コタカ先生が残した言葉の一つである「らしくあれ」を掲げ、自分の個性や特性を大事にしながら「自分らしく、まっすぐに」将来に向かって進んでいくための力を身に付けることを目指しています。

 

以下は、マンガ「教えの道をひとすじに ~大妻コタカ物語~」からの抜粋です。

「らしくあれ」は、コタカが「学生は学生らしく、娘は娘らしく、社会人は社会人らしくあれ」などと一貫して教え、呼びかけてきた言葉であるが、コタカは、次のように説明している。

「一人の人閻は一日の内に実に多くの役割を持っています。自分は一人の人間でも、相手に応じ、場所により、地位によって、他のどれとも同一でない役割を、次々と果たしていくわけですが、そのそれぞれに『らしくありたい』とこれが、私の希望なのです。(中略)

ほとんど慣れっこになり無反省になってしまっている、そのそれぞれの対人関係において自分の果たす役割に、『らしくありたい』という心構えを意識したいということなのです。(中略)

「らしくありたい」とする誠意は、自ずと相手にも通じて、その関係は和やかになると思います。」

このようにコタカは、まず他者への配慮、意識的態度の大切さを指摘している。

また、コタカは「人間らしい人間、女性らしい女性、そしてあくまでも自分らしい個性を持った自分を養い育てていきたいものです。」とも述べて、「らしくある」ために自分の個性を育てることの重要性を説いている。

そしてそれは必然的に自己の反省・工夫などにつながり、新しい自分を発見し、新しい個性を創造することになるのである。

「嫁らしく」「妻らしく」などをただ受け身的に、迎合的に受け取るのではなく、それらしくあることを通して自分らしく生きるということである。

「何々らしくあろうとする」ことが自分に生き甲斐を、相手には幸福を、家庭には和やかさを、社会には希望と喜びをもたらすことになると教えている。

「まず、立派な個性を作りつつ、それが、立場に応じ、時に従って「らしく」現れるようにしたいものです。」とコタカが言うように、他者と「らしく」関わるためには、状況を的確に判断し、柔軟に対応できるしっかりとした自分の個性を育て、表現しなければならない。

このことは、「恥を知れ」としっかりと通じているのである。