Otsuma Ranzan Junior and Senior High School

12月26日終業式(進路指導主任)私達は、生きることの意味、善い生き方を自分で作らなければなりません

2019.12.22

校長室から

今日は生物の進化と人が生きる意味についてお話します。

19世紀以後の最も偉大な科学的発見は、C・ダーウィンの進化論、A・アインシュタインの相対性理論、N・ボーアらによる量子論の3つです。何れも人類の物の考え方を大きく変革しましたが、最も社会的影響が大きかったのは進化論です。

1831年12月27日、生物学者のC・ダーウィンは帆船ビーグル号に乗り込みイギリスのプリマスから南アメリカ大陸調査の航海に乗り出しました。赤道に近い東太平洋、南アメリカ大陸沖のガラパゴス諸島の生物を調査して進化論を着想し、1859年に「種の起源」を発表しました。

それまでは、キリスト教の影響で、生物種は神が創造したものであり、不変だという考え方が主流でしたが、ダーウィンは、生物は原始的で単純な生物から始まり、地質年代とともに進化して様々な生物種が生まれたと主張して、社会に大きな衝撃を与え大論争を引き起こしました。

ダーウィンの進化論は自然淘汰説と呼ばれるものです。生物は突然変異により個体の性質に差が生じますが、生き延びるのに有利な性質だけが子孫に受け継がれるため、生物種は少しずつ変化して新しい種が誕生するというものです。

この、突然変異と生存競争が進化の原動力であるというダーウィンの進化論は、メンデルの遺伝学やワトソン・クリックによるDNAの発見などにより補強され、揺るぎないものとなりましたが、随分と誤解もされてきました。最大の誤解は「人類は進化の頂点にいて他の生物より優れている」というものです。ダーウィンの進化という言葉には「より高度になる」とか「より良い方向に向かう」という意味はまったく含まれていません。まして、人類が進化の頂点だということはまったく主張されていません。進化とは生物が生存競争により変化した結果であり、進化の観点からは細菌も昆虫も人間も同列です。

20世紀、生物学者のリチャード・ドーキンスは「利己的な遺伝子」を著してダーウィン進化論を拡張しました。自然淘汰の主体は種でも個体でもなく、遺伝子であるというものです。自然淘汰により後世代へ受け継がれて行くのは遺伝子であり、生物は遺伝子を運ぶ乗り物であるというものです。生物は死にますが遺伝子は受け継がれます。

現代生物学が教えてくれることが2つあります。一つは、生物は次世代に遺伝子を伝えるためだけの存在で、生物が生きることには遺伝子の伝達以外の意味は何も無いということです。

もう一つ、現代生物学が教えてくれることは、生物は遺伝子の操り人形では無いということです。生物の個体は、遺伝子そのものを変えることはできませんが、生まれてからの環境や生き方により、遺伝子の働き方は変わります。このことをエピジェネティックスといい、それによって個体の能力と資質は大きく変化します。一卵性の双子でも体質や性格が違ってくるのはこのためです。

以上のことから2つのことが言えます。一つは、人が生きることの意味は自分で作り出すものであるということ。もう一つは生き方の改善は能力と資質の向上に繋がるということです。

古代ギリシァの哲学者ソクラテスは、人はただ生きるのではなく善く生きるべきであると言いました。その善い生き方は自分で作り出すものであり、それを実践している人は大勢います。

12月4日 アフガニスタンで、医療、農業支援で35年間にわたり活躍されていた中村哲医師が銃撃され、お亡くなりになりました。

中村医師は、若い頃から登山と昆虫採集が趣味で、1978年、珍しい蝶を求めて、パキスタン遠征登山隊に医師として参加しましたが、現地で、貧しくて医療を受けられない人々の姿を目にしたことから、パキスタン北部のペシャワールで医療支援活動を始めました。

1983年には、中村医師の活動を支えるペシャワール会というNGOが結成され、1989年よりアフガニスタンに拠点を移しました。

2000年、アフガニスタンは大旱魃に見舞われ、400万人が飢餓状態となりました。中村医師は、飲料水を確保するため、井戸を掘る活動を始めました。

2001年、国際テロ組織アルカイダにより、アメリカ同時多発テロが起こり、アルカイダの本拠地があるアフガニスタンはアメリカの爆撃に見舞われ、世界で最も危険な紛争地域となりました。現地の殆どの支援組織は撤退しますが、ペシャワール会は残ります。「誰も行かないなら、我々が行く。誰もやらないなら、我々がやる」が、ペシャワール会の精神です。

中村医師は援助の規模を広げ、井戸では水が足りないため用水路を作るプロジェクトを立ち上げました。この「緑の大地計画」は2003年に始まり、砂漠化した土地に全長27㌔メートルの用水路を完成させ、「2020年までに1万6500ヘクタールを緑豊かな土地によみがえらせ、65万人が暮らせるようにしたい」という目標まであと一歩の所まで来ていました。

2008年、ペシャワール会の日本人職員がテロの犠牲になったとき、中村医師は次の弔辞を述べています。「平和とは戦争以上の力でありますが、戦争以上の忍耐と努力が要ります。暴力主義こそが私たちの敵であります。そして、その敵は、私たちの心の中に潜んでいます。今、必要なのは憎しみの共有ではありません。憤りと悲しみを友好と平和への意志に変え、今後も力を尽くすことを誓います。」というものでした。

中村医師にとってアフガニスタンへの支援は命をかけても成し遂げたいことでした。そしてアフガニスタンの未来をより良くすることに命を捧げました。

私達は、生きることの意味、善い生き方を自分で作らなければなりません。

やり遂げたい事を持つこと、自分の能力を最大限生かして活動すること、それにより人々に貢献することはその一つの答えです。答えは他にも沢山あるでしょう。しかし、その答えは自分で探すしかありません。

高校3年生は進路選択により善い生き方への一歩を踏み出しています。

私達は自分や社会の未来を良くすることが出来ます。

是非、大いに学び、考え、活動して自分のより善い生き方を更に追求して下さい。